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オオクワガタに魅せられて
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偶然と必然E!! 投稿者:ケンケン 投稿日:2020/03/21(Sat) 16:34 No.13053   

オオクワガタ愛好家の皆様、こんにちは。

コロナウィルスの影響で、車以外の外出が億劫な今日この頃ですが、いかがお過ごしですか?

インフルエンザと同様、冬だけの季節的な短期終息の感染だと思いきや、長期化する可能性もありそうな気配ですネ。

私も長期的に考えて、今年はイベント出席は控え、オークションと本掲示板にて、皆様とコミュニケーションを図りたいと思っています。

私の想い出話にお付き合いいただければ幸いです。

さて、まずは1980年代後半の兵庫県・川西市の採集状況をお話ししたいと思います。

私と平山氏との運命的な出逢いは、1986年の夏の終わりの事でした。

その年は、残念ながら三草山周辺だけで、川西市のポイントは全く知りませんでした。

9月の初めという事で、折角のポイントに連れて行ってもらいましたが、シーズン・ピークが6月ということもあり、オスのオオクワガタは台場クヌギで見ることができませんでした。

しかし、メスは9月上旬は産卵のために移動?するのか、昼間に1回、夜に1回、採集することができました。

特に夜間採集では、普通の樹液に単独で来ていました。

私は、オオクワガタの生きたメスを見た経験は中学生の頃に1回だけで、たまたま見た事が無いメスを採集して、その個体と後輩が家の玄関に落ちていた!という大歯型を我が家の玄関の床の上で友人3人と一緒に観ていると、公衆の面前で!交尾を始めて、これがオオクワガタのメスだと思った記憶が蘇りました。

オオクワガタのメスを見たのは、その1回限りだったので、目の前で樹液を吸っているメスを、しかも9月に見る事ができて、感動に浸っていました。

そう言えば、三草山の山頂付近でも、私の常識では9月は完全にクワガタのシーズンオフにもかかわらず、何度もミヤマ、ノコギリを昼間に見ることができました。

勿論、スズメバチと一緒で、採集するのが怖かったですが…。

偶然と必然D!! 投稿者:ケンケン 投稿日:2020/03/20(Fri) 17:39 No.13045   

オオクワガタ愛好家の皆様、今日は記念すべき「春分の日」ですネ。

私は、春分の日から夏至の日までが一番、楽しみで、秋分の日を境に、どんどん日が短くなっていくのが寂しくて、冬至の日が過ぎると春の便りを楽しみに冬眠生活を送っています。

東京は、既に桜の開花宣言がなされましたが、京都の哲学の道の桜並木を今年も見に行きたいと願っています。

さて、平山氏との出逢いによって、私のオオクワガタ人生・第二章の始まりですが、概要は拙著「オオクワガタ飼育のすべて」に書かれていますので、まだお読みいただいてない方々も含めまして、そちらに委ねさせていただきます。

平山氏との出逢いの中で、やはり一番、大きかった事は、能勢地方で間違いなくオオクワガタが生息している事実を知り、その生息場所が、初めて見る「台場クヌギ」である事を知ったことです。

そして、世の中に「月刊むし」という雑誌が存在し、平山氏から譲り受けた「オオクワガタ特集号」には関西のポイントと山梨のポイントが明確に記されていて、オオクワガタ愛好家が、こんなにも沢山、おられる事を知ったことでした。

それからというもの、私はこの「月刊むし・オオクワガタ特集号」を片時も離す事なく熟読し、過ぎ行く夏の日を惜しむかのように、何度か一緒に平山氏に三草山を中心とした、オオクワガタ採集ポイントに連れて行ってもらいました。

やっとオオクワガタと再会できた歓び、そして、台場クヌギという、とてつもないオオクワガタの住処を知り、翌年以降の採集に夢を馳せた次第です。

つづく

偶然と必然C!! 投稿者:ケンケン 投稿日:2020/03/17(Tue) 18:13 No.13043   

オオクワガタ愛好家の皆様、こんばんは。

今日からは、やっと春らしい陽気に包まれた大阪ですが、まだまだ朝晩は冷え込みますので、皆さん、体調管理にはくれぐれも気をつけてくださいネ。

さて、高校に入ってからの私は、闘病生活を余儀なくされたこともあり、オオクワガタと接する機会も無くなっていました。

退院後、卒業まではドラムに専念していた事もありましたが、付近の宅地造成が進み、採集に出掛けてもノコギリ、コクワ、ミヤマ、カブトムシは見かけるものの、オオクワガタどころか、ヒラタすらほとんど見かけなくなりました。

そして、大学は幼年時代を過ごした生家付近の京都大学に入学したものの、中高6年間、男子校で過ごした反動か?本能の性?かは分かりませんが、オオクワガタは完全に頭から消えて無くなり、夜は合コン、昼間はパチンコ、たまに大学の講義に出ても4人揃えば雀荘に消えていました。(笑)

ただ、さすがに夏の季節はクワガタ採集が恋しくて、残り少なくなった雑木林を探して、梅雨の合間の晴れた6月のある日、たまたまクヌギの樹を見つけては、意味もなく?蹴りまくっていました。

時々、バサッと音がした場所を探しても枯れ枝が落ちているだけだったのですが、ある時、枯れ枝だと思ってバサッと音がした場所を見ると、そこには特大ミヤマが裏返っていました。

「エーッ!ミヤマが梅雨の合間にいるの???」クワガタ採集は7月がメインだと当時は思っていたのですが、何と梅雨の合間に特大ミヤマが発生している事実を初めて知りました。

こうなると、辺りのクヌギを全部、蹴りたくなるのが私の習性です。

次から次へと樹を蹴る度に、バサッ、バサッと音がする箇所を探すと、至る所でミヤマ、ノコギリが見つかりました、

「クワガタは梅雨の合間の晴れた日に既に発生しているのか?」今なら常識である、こんな事を改めて思い知らされた気がしました。

しかし、大学入学後、更に宅地造成が進み、余り自宅に帰らなかった私は気づかなかったのですが、とうとう、ある日のこと、昼間に囲いのトタン板の間の隙間から覗いた風景は私を驚愕させて余りあるものでした。そう、私の心の故郷、オオクワガタの生息する雑木林が一山、丸々、無くなっていたのです。

この時の私のショックは、本当に筆舌尽くしがたい!!という言葉を絵に描いたような状況で、心の底から、言いようのない絶望感に襲われました。

そして、私のオオクワガタとのご縁は、一旦、ここで第1章が終わります。

私が、いわゆる「飲む打つ買う?!」という男の本能?にうつつを抜かしていた間に、大切な大切なオオクワガタが身近に完全にいなくなってしまった瞬間でした。

私は、その後も益々、麻雀にのめり込み、大学院に進んだものの、専門の食品科学はうわべだけで、実際は麻雀をするために進学したようなモノでした。

そして、オオクワガタへの憧れが薄まるにつれて、学問に対する情熱も何故か薄れてしまい、気がつくと大学に残る選択肢も薄れて、私のような人間は会社勤めには向かないと言われながらも、女房と知り合ったばかりの時期で、早く社会人になりたくて就職が頭を占めました。

そんな時に、タイムリーに友人のお父さんでサントリーの役員をされておられる方からコネ入社のお話をいただき、どうせダメだろうと思っていたため軽い気持ちで一次面接を受けに行きました。

当時のサントリーは行きたい会社のナンバーワンにも選ばれるほど人気があったからです。ただ、自分を試したくて、親も大学院の師匠の反対も振り切って、入社試験を受けたのですが、あれよあれよという間に最終面接まで行き、当時の経団連の会長であった佐治敬三社長と一対一の面接の場に相当、気を遣って臨んだのですが、他のヒトが20分位、面接を受けていたのが、私が約5分で終わったため、「アー、やっぱりダメやったな?」と帰宅して正直に父に話をすると、急に父の顔が曇り「それはお前、受かったな…。ただの顔合わせだけだったと思う。」と言われ、案のじょう、採用通知を受け取りました。しかも、結果は私より父の方が先に知っていました。私の採用は、正に私の実力では無く、 コネくり団子!?だったようです。

当時のサントリーの研究所は、医薬に重点が置かれていて、非常に優秀な人達、特に女子は本当に優秀かつ魅力的な女性の宝庫?!でした。

オマケに、勤務時間内に官能検査と称してビールやウイスキー、ワインの試飲ができ、就業後も、連日、飲み会やカラオケに出掛けて、またまた、本能に忠実な生活を送っていました。

そして、29歳11ヶ月での結婚を2ヶ月後に控えた8月のお盆過ぎ、たまたま婚約者と一緒に、京都、大丸の屋上のペットショップに久々にクワガタムシを見に立ち寄ると、何とオオクワガタの中歯型と小歯型が売られていました。

とても懐かしい気持ちで満たされながら、「大歯型はいないのですか?」とお店のご主人と話をしていると、「ボク、今年、74ミリのオオクワガタを採りました!」と話を遮って横ヤリを入れた方がおられました。

これが、私が平山氏との運命的な出逢いの瞬間でした。

ここからが私のオオクワガタ人生、第2章の幕開けです。

つづく

偶然と必然B!! 投稿者:ケンケン 投稿日:2020/03/14(Sat) 02:05 No.13033   

オオクワガタ愛好家の皆様、こんばんは。

原因不明ですが、一部、掲示板にアクセスしづらくなっているようです。

ご迷惑をお掛けして、誠に申し訳ありません。

さて、下記の書き込みで、封印していた私の約2年間に渡る闘病生活のお話をしてしまいました。

楽しいオオクワガタの話題のご提供ではなくてスミマセン。

ただ、私の生き方の底辺を流れているものが?、この時期に出来上がったのかもしれません。

特に、私は権力が大嫌いです。(偉そうな人間も大嫌いです。)

自然と音楽は大好きです。

闘病後、暫くは運動が出来ませんでしたが、その時に始めたのがドラムでした。

男子校ゆえ、女子にモテたいという、始めた動機は不純でしたが、文化祭でのバンド活動は、唯一の輝ける場所であったかもしれません。

話が逸れましたが「長い物には巻かれろ!!」という言葉、いや生き方が大嫌いで、その後の人生でも必要以上に敵を作ってきた?原点がここにあるように思っています。

だからこそ、オオクワガタが本当に好きではないのに、飼育用品も含めて単にお金儲けの手段、名声?!を売るための手段としか考えていない輩に対しては、袂を別って来ました。

その代わり、と言っては何ですが、本当にオオクワガタが好きな方々とは末長く、お付き合いしてきています。

また、闘病生活と幼年時代を過ごした京都市内での楽しくも辛い生活を通して、本当に優しいヒトを見抜けるようになりました。

その反面、真逆のヒト、特に権威を盾に平気でヒトを切り捨てる人種には、常にキバを剥いてきました。

今の世の中を見渡すと、私のような考えで生きて行くには本当に辛いのですが、こればかりは今更、変えようがありません。

女房や子供からは、最近、私が丸くなった!ともっぱらの評判ですが…。(笑)

偶然と必然A!! 投稿者:ケンケン 投稿日:2020/03/13(Fri) 18:26 No.13032   

オオクワガタ愛好家の皆様、こんばんは。

偶然と必然…。

一期一会…、と並んで私の好きな言葉なのですが、私が初めてこの言葉に感銘を抱いたのは、高校1年生の頃でした。

当時、私は腎臓を患って、入院生活を余儀なくされていました。

元々は体育会系の人間で、中学は野球部、体育の授業が一番、好きな科目だったのですが、中学2年の時に右手小指を複雑骨折し、実際は
小指の第1関節より先を切断しかけたのですが、学校に隣接して東大寺の境内の中に病院があったので、何とかくっ付けてもらえました。

ただ、指先が腐らないように飲んだ抗生物質のせいか?中学3年生の途中から微熱が続いて歩くのも困難になった矢先、コーヒー色の血尿が出て、やっと腎臓に欠陥?がある事が分かった次第です。

多感な時期に、この入院生活と運動禁止は、本当に辛かったです。

出口の見えない中、京大病院の重病患者の方々と一緒に過ごした中で、一人、また一人と同室の患者さんが亡くなっていかれ、私も絶望感の中を過ごしていましたが、そんな時に新聞の広告で私の目に留まった書物のタイトルが二つありました。

その一つが「偶然と必然」。

もう一つが「生きるのが下手な人へ」でした。

「偶然と必然」は、当時、フランスのパスツール研究所の所長で、ノーベル医学生理学賞を受賞されたジャック・モノー著の書物で、将来、生命科学の研究を志していた私には、学問的な興味と同時に、斬新な哲学的な思想内容に非常に感銘を受けました。

もう一つは、その後、私が生きて行く上で最も影響を受けた、仏教学者兼、伝道師の紀野一義先生の著書でした。

先生は、広島市出身、東大の哲学科出身で、戦争で日本を離れて出兵中に原爆で家族を全て失った過去をお持ちでした。

闘病中の私には、先生の本は真底、心にしみました。

当時、まだ世の中に知られていなかった俳人・山頭火を知ったのも、先生の書物の中でした。

この書物を読んで、絶望の底にあった私が、どれだけ救われたか知れません。

そして、勿論、偶然と必然は、私に将来、医学も含めて、生命科学の世界に進む希望を与えてくれました。

つづく

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